歴史 - 戦国時代

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三日天下は本当は12日?間違って信じられている戦国時代の逸話10選

明智光秀の三日天下という言葉はよく知られています。その三日天下は、実際には3日間ではなく12日間でした。 他にも、長篠の戦いの織田信長による鉄砲の三段撃ちなど、史実ではなかったのに史実のように信じられている話はいくつかあります。 今回は史実のように考えられているけど、実際はそうではない戦国時代の逸話を集めてみました。 以前に日本史の伝説をまとめた記事を書いたのですが、今回はそれとはちょっと異なっています。 史実としては有名な話なのですが、(歴史オタク以外には)あまり真実が知られていない話になります。 明智光秀の三日天下は実際には12日間 長篠の戦いの鉄砲の三段撃ちは実際にはなかった 毛利元就は…
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坂本龍馬が明智光秀の子孫といわれる4つの理由を検証

坂本龍馬にまつわる伝承のひとつに、坂本龍馬は明智光秀の末裔である、というのがあります。本当かどうかは別として、戦国時代に破れた武将の末裔が幕府を倒した、というのはロマンがあっていいですね。 司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」でも主人公の坂本竜馬が、脱藩前に先祖の明智氏の墓に詣でるシーンがあります。 竜馬がゆく1 司馬遼太郎氏による坂本龍馬像 司馬遼太郎氏がこのことを書いているということは、史実かどうかはさておき、坂本龍馬は明智光秀の末裔である、という説は世間的には知られていたことになります。 (出展 鬼武者公式サイト) 今回は坂本龍馬の明智光秀末裔説について検証してみます。 あ、ちなみに上のアイキ…
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義経がチンギス・ハンに。光秀は死んでなかった!?日本史の伝説10選

源義経はチンギス・ハーンになった、という伝説があります。義経は奥州平泉で死なずに生き延びて大陸に渡り、モンゴル帝国の創設者であるチンギス・ハーンになったといわれている伝説です。 この伝説は今では残念ながら俗説の一つとして扱われています。ただ俗説であっても、ちょっとしたロマンを感じます。 日本史にはそんな伝説がたくさんあります。明智光秀が死なずに徳川家康の参謀なったという説や上杉謙信女性説などは根強い人気?があります。 今回は史実かどうかは別として、戦国時代を中心に伝説的な話を集めてみました。 源義経は死なずに大陸でチンギス・ハーンになった 源義経は二人存在した 武蔵坊弁慶は実在しなかった 徳川…
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石谷家文書の石谷光政、頼辰親子と明智光秀、長宗我部元親との関係

本能寺の変の理由のひとつして挙げられるのが四国説です。大雑把にいうと、織田信長による四国征伐を阻むために、明智光秀が本能寺の変を起こした、というのが四国説の概要です。 この四国説は古くから本能寺の変の原因の一つとして考えられてきました。ただ、説としては弱いといわれていたのですが、近年はこの四国説が注目を浴びています。その理由は石谷家文書(いしがいけもんじょ)と呼ばれる石谷家に伝わる手紙が、平成26年に林原美術館と岡山県立博物館で発表されたからです。 石谷家文書とは林原美術館に保管されていた、石谷家親子や縁戚である斎藤家宛に送付された複数の手紙を指します。林原美術館を創設した、実業家の林原一郎氏…
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明智光秀の息子といわれる明智光慶、自然丸、乙寿丸について調べてみた

2020年の大河ドラマが明智光秀が主人公であることもあり、光秀好きの歴史オタクとして一人で盛り上がっています。先週末も図書館で明智光秀関連の本を読み漁っていたのですが、その中に明智光秀の子どもについて言及した本がありました。 明智光秀の子孫については以前に記事にしたことがあったのですが、その時に作成した光秀に三男四女がいたというのは「明智軍記」という軍記物に記載があります。 荒木村重の嫡男、荒木村次に嫁いだ娘は、荒木村重の謀反後に明智秀満に再嫁しています。明智秀満は通称が左馬助で、ゲーム好きな方にはカプコンさんの「鬼武者」シリーズの主人公でも知られています。 少し話が脱線しました(^^; 書き…
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浅井長政で有名な浅井氏の読みは「あざい」なのか「あさい」なのか?

戦国時代に織田信長の妹婿になり、のちに反旗を翻した浅井長政という武将がいます。歴史小説を読まれる方や、信長の野望シリーズをプレイする人にはもう紹介するまでもない有名武将でしょう。 学校の日本史の授業では、姉川の戦いで織田軍の敵として登場するくらいでしょうか。 その浅井長政ですが、名前の読み方が あざい ながまさ あさい ながまさ のどちらなのか分かっていません。 個人的には濁らない「あさい ながまさ」の方が好きなのですが、最近では「あざい ながまさ」という読みの方をよく耳にします。 ずっと気になっていたので、どちらの読みが正しいのか調べてみました。 浅井長政を簡単に紹介 浅井氏の読みを「あざい…
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戦国時代最強といわれた上杉謙信が天下を取れなかった理由

戦国時代に最強といわれた武将が越後の上杉謙信です。以前に上杉謙信が登場する小説の書評でも紹介しましたが、戦って負けたことがほとんどなく、その強さは神がかり的ともいえます。 自らを毘沙門天の化身と信じ、生涯不犯を貫き通した「軍神」なので、神がかっているのも、本人が願った結果なのかもしれません。 戦国時代最強といってもいいほどの強さを誇った謙信ですが、天下を取ることはありませんでした。二度も上京していることもあり、天下への野心は持っていたと思うのですが、武田信玄のように西上作戦を起こすこともありませんでした。 抜群の強さを誇った上杉謙信 領土を比較してみると信長よりも遥かに少ない 軍勢の進行方向が…
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川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちは本当にあったのかどうか

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄の間で繰り広げられた川中島の戦いで、有名なのが第四次川中島の戦いの両者による一騎打ちです。 歴史ドラマや小説などでは、必ずといっていいほど取り上げられるこの一騎打ちですが、実際にあったのかどうかは定かではありません。その理由はこの一騎打ちが明確に書かれているのは「甲陽軍鑑」という軍学書だけだからです。 第四次川中島の戦いの簡単な解説 上杉謙信と武田信玄の間で行われた川中島の戦いは、一度では終わらず数度に渡って繰り広げられました。中でも激戦だったのが第四次川中島の戦いです。 この戦いでも結果は引き分けだったのですが、前半は上杉軍が優勢で、後半は武田軍の別働隊が到着し…
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歴史上もっとも悲惨な死に方をした将軍「源頼家」について語る

源頼朝や源義経はご存知の方も多いと思いますが、源頼家というと何をした人なのかパッと出てこない人も多いでしょう。 源頼家は鎌倉幕府の第2代将軍です。父親は鎌倉幕府を開いた源頼朝、母親は尼将軍と呼ばれた北条政子です。 そして日本史上でもっとも悲惨な死に方をした将軍でもあります。 (出典 Wikipedia) 源頼朝と北条政子を両親に持ちながら、なぜ悲惨な死に方をすることになったのかを、一人の歴史好きが好き勝手に書いてみます。 源頼朝の後継者として家督を継ぐ 1199年に源頼朝の急死をうけて、源頼家は18歳で家督を継承します。ところがその三ヶ月後には、有力御家人を中心とする合議制がしかれます。 早い…
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人材紹介会社の営業の人の言葉に、ちょっと感動した話

サラリーマンをしていると営業の電話を受けたときに、わずらわしいなあ、と感じることは多いと思います。そして営業の電話で多いのが、人材紹介会社からの電話ではないでしょうか。 私は採用担当をしていることあり、一日に何本も人材紹介の電話を受けることがあります。「営業の電話であっても、失礼のないように対応する」というのが、私の勤務する会社の方針なので、毎回きちんと対応しています。 ほとんどはお断りすることになるのですが。 中小企業の採用の現状 紹介されたのは採用の見込みがない男性 人材紹介会社の営業の人からの電話 まとめ ー 採用に真摯に対応しよう 中小企業の採用の現状 人材の採用においては年齢は考慮せ…
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