歴史 - 戦国時代

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本能寺の変の黒幕は存在したのか? 可能性のある人物を7人をピックアップ

本能寺の変はその前後の状況から、明智光秀が単独で行動を起こしたことはほぼ間違いありません。ただ黒幕がいた可能性はあります。 黒幕としてよく名前が上がるのは、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)や徳川家康ですが、他に可能性がある人物は居るのでしょうか。 今回は黒幕が居たかどうかについてや、取り上げる人物が黒幕として妥当かどうかについては考察せず、可能性があると思われる人物を7人ピックアップしてみました。 羽柴秀吉説 中国大返しが実現できた理由は? (出典 Wikipedia) 本能寺の変の黒幕として真っ先に名前が上げられるのが羽柴秀吉です。 その理由は、中国大返しと呼ばれる備中高松城から京都までの大規模な軍…
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愛宕百韻に隠された謎。光秀が連歌に込めた真実は?

歴史好きなら誰でも知っている「愛宕百韻」という言葉があります。 愛宕百韻とは本能寺の変の直前に、京都の愛宕山で行われた連歌のことです。明智光秀が参加し、発句を読んだことで知られています。その発句が本能寺の変を意図しているのではないかといわれているのです。 愛宕百韻 - Wikipedia 愛宕百韻で光秀が読んだ発句 まずその光秀が読んだといわれる発句を記載します。 「時は今天が下しる五月かな 光秀」 普通に解釈すれば「今は正しくこの世は五月そのものである」となり、なんの問題もない、のどかな句になります。連歌が開催されたのは5月24日(もしくは5月28日)なので、時期的にも不自然はありません。 …
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イケメン武将10選!美形伝説が残る戦国武将たち

幕末であれば写真が残っている人物もいるのですが、戦国時代になると美形だったかどうかは資料に頼るしかありません。 ゲームに登場する戦国武将たちは、そのほとんどがイケメンに描かれていますが、それがユーザー向けであることは説明する必要もないでしょう。では、現実の武将は美形だったのでしょうか。 今回は様々な資料を基に、美形伝説のある戦国武将をピックアップしてみました。 美形伝説が伝わる戦国武将たち 織田信長 明智光秀 井伊直政 松永久秀 小早川隆景 高坂昌信(春日虎綱) 長宗我部元親 直江兼続 片倉重長 木村重成 まとめ ー 戦国時代の武将は中身もイケメン 美形伝説が伝わる戦国武将たち 織田信長 (出…
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日本の軍師ベスト10。三人の歴史作家が選んだベスト10と独自のベスト10

日本の軍師ベスト10 三人の歴史作家が選んだ軍師ベスト10 遠藤喜右衛門 知られざる浅井家の名軍師 北条氏を名乗らなかった伊勢新九郎 日本の軍師ベスト10 戦国編 まとめ ー 誰か一人は選べないが 図書館で借りた本を眺めていたら「大戦国史 最強の武将は誰か?」というタイトルがありました。以前に紹介した記事の「大戦国史」と同じ文藝春秋が発行元なのですが、内容は異なっているようです。 大戦国史 最強の武将は誰か? (文春文庫 編 6-17) posted with ヨメレバ 文藝春秋 文藝春秋 2016-10-07 Amazon Kindle 楽天ブックス 7net 再編集というよりは構成が変わっ…
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戦国時代最強の武将は誰だ? 織田信長?徳川家康?。島津義弘を押したい!

本棚を眺めていたら、文藝春秋SPECIAL「大戦国史」(以下、大戦国史)という本を見つけました。2016年春号、とあるので、1年半ほど前に購入した本のようです。 幸村の天才軍略遺伝子 激闘 関ヶ原 戦国の一番長い日 戦国大名 究極のサバイバル戦略 最強武将は誰だ? 知られざる名将 「信長の野望」想像と破壊 など、様々な項目が詰め込まれているのですが、今回はその中の一つ「最強武将は誰だ?」について書いてみます。 戦国時代最強の武将は誰だ? 他の著名人の徳川家康の選出理由にも疑問点 織田信長の強さは戦略的強さ 徳川家康は戦場において強かったのかどうか 私が考える戦国時代最強武将は島津義弘 まとめ …
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明智光秀の直筆の手紙が発見。本能寺の変の真実は?

ネットを何気なくさまよっていたら、明智光秀の直筆の手紙が発見されたというニュースを見かけました。 明智光秀:密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ - 毎日新聞 戦国ヲタとしては、これはブログに書かずにいられないですね。本棚に並んでいる戦国系の書籍を引っ張り出して、あらためて本能寺の変の理由を調べてみました。 今回の記事は少し暴走気味です^^; 私の歴史の知識はその多くを歴史小説から得ているので、史実とは異なることがあることをご了承いただければと思います。 戦国史上最大の謎 信長に対する怨恨説 信長の海外進出阻止&土岐氏再興説 室町幕府再興説 長宗我部元親との関係を重視した四国説 家康、秀…
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三成が関ヶ原の戦いで勝利した後の政治体制について考える

アイキャッチ画像を探すために「歴史」と入力しようとして、「レキシ」と変換されてしまうあたり、まだ以前の記事の影響が残っていたようです。 www.daremomiteinai.com いい曲だなあ。ずっと聞いているとこの歌詞でも全然違和感がなくなってきた。 というか、この歌詞でないとおかしい気がしてきたので、人間というのは不思議なものです^^; 関ヶ原の戦いのif 「異聞 関ヶ原合戦」という書籍の最終章に、関ヶ原の戦いのif小説が記載されています。「断章 逆転関ヶ原」という章で、史実とは異なる結果が書かれています。ネタバレになるので詳細は記載できないのですが、歴史好きなら誰もが関ヶ原のifを考え…
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石田三成の娘たちのその後。何と徳川家康の孫と結婚していました!

戦国武将の子孫に興味があります。小説に登場する武将の子孫が、現代まで続いていることに、不思議な感覚を覚えてしまうのは私だけでしょうか。 さて、前回は石田三成の男系の子孫について書いたので、今回は女系の子孫について書いてみます。前回の記事にも記載しましたが、石田三成には3男3女が居たという説と、2男5女が居たという説があります。ここでは3男3女説を採用しています。 石田三成の長女 石田三成の次女 小石殿 石田三成の三女 辰姫 まとめ ー 関ヶ原で敗戦した武将も現代まで子孫は続いていた 石田三成の長女 石田三成の長女は名前は伝わっていません。石田家の家臣である山田勝重に嫁いだといわれています。山田…
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武田信玄がもう少し早く死んで、武田と織田の同盟が続いていたら?

武田信玄がもし長生きしていたら、と考えたことのある人は多いと思います。私もその一人です。こういう歴史のifは考えるだけでおもしろいのですが、最近、ちょっと変わったifを耳にしました。 もし武田信玄がもう少し早く死んでいたら、です。正直なところ、この発想はありませんでした。武田家と織田家は同盟を結んでいたので、もしその同盟が継続しているうちに武田信玄が亡くなっていたら、歴史は変わっていた可能性があります。 武田信玄は西上作戦の途中で病死というのが通説 武田信玄は天下を取るための西上作戦の途中に病によって倒れた、というのが通説です。 西上作戦の途中の三方ヶ原の戦いで、徳川・織田連合軍を破り、家康を…
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