「北方三国志」の第3巻の主役は間違いなく呂布です。
私は小説・マンガも含め、色々な三国志を読んでいますが、呂布が一番かっこいいのはこの北方三国志で間違いありません。北方三国志の呂布を一言でいうなら軍人です。いや、武人かな。
もう一つ、北方三国志の特徴をあげると、五斗米道の張衛がよく登場することでしょうか。五斗米道というというと、多くの人が教祖の張魯を思い浮かべると思いますが、北方三国志でよく出てくるのは、張魯ではなく弟の張衛なのです。
(出典 Amazon)
三国志という物語そのものが列伝なので、劉備や曹操だけではなく、孫策や呂布、袁紹などの群雄に焦点が当たるのはわかるのですが、張衛がその一人として取り上げられているのは珍しいですね。
正直なところ、張魯ならともかく張衛は、北方三国志を読むまで存在を忘れていました(^^;
部下を信頼し、軍人として描かれる呂布
史実の呂布は、武力は優れていても狭量で疑い深い人物だったといわれています。部下に張遼、高順という優れた武将がいましたが、その言を用いず、自分の縁戚だった武将を優遇していました。
ところが北方三国志ではこの二将を重用します。そして文官の陳宮も信頼しています。呂布を味方に引き入れようと接触にきた劉備に対して、政治のことはすべて陳宮が考えることだ、という意味の返答をします。
北方三国志の呂布は、陳宮に全幅の信頼をおいているのです。三国志演義に出てくるような、陳宮の献策を取り上げず、自らを窮地に追い込んでしまう呂布は居ません。
自らは軍人であり、それ以外のことは考えない。そして騎馬を率いた戦闘においては無敵という呂布が北方三国志の呂布なのです。
曹操と死闘の末の呂布の最期
袁術率いる15万の大軍を打ち破った呂布ですが、曹操との死闘に破れ、ついに下邳に籠城するはめになります。
その最期も印象的です。史実での呂布は曹操に投降し、自分を将軍として扱うように曹操に申し入れます。要は命乞いをするのです。飛将という異名のある呂布にふさわしくないシーンなのですが、北方三国志は違いました。
曹操の操る間諜によって、陳宮が捕縛され曹操軍に引き立てられようとします。呂布はその陳宮を取り返すべく出撃するのです。史実で陳宮を疎んじていた呂布はそこにはいません。
部下、というよりは友人を取り返すような勢いで出撃します。曹操軍は呂布を近接攻撃では倒すことができず、矢を大量に放つことで呂布を討ち取ります。
こういう呂布も良いなあ、と感じさせられるシーンです。
北方三国志の影のヒーロー?漢中の張衛
北方三国志で群雄の一人?として、ときどき登場するのが張衛です。張衛は漢中を支配した五斗米道の教主張魯の弟で、主に軍事面を担当しました。
魏、呉、蜀の三国だけではなく、呂布や袁紹、董卓、孟獲など、様々な群雄が登場するのが三国志です。でも、張衛が数多く登場する三国志は珍しいといっていいでしょう。
史実での張衛は曹操の漢中攻略の相手役として登場するくらいなのですが、北方三国志の張衛は、拠点としている漢中だけではなく、益州をも支配しようとする野心家として描かれています。
五斗米道という宗教にはそれほど興味はなく、教団の象徴は兄に任せて、自分は軍事面のみを担当します。鮮広という北方三国志のオリジナル?の人物を父かもと疑いながらも、教団を利用して領土を広げようと目論みます。
今後の張衛がどのように動くかも楽しみです^-^
まとめ ー 呂布が退場し、物語は袁紹と曹操の対決へ
3巻では曹操が呂布を破り、徐州を手に入れる一方、袁紹も公孫瓚を倒して河北を手に入れます。4巻で待っているのは官渡の戦いですかね。赤壁の戦いと並ぶ三国志の有名な戦いの一つです。
あらためて三国志を読んでいるのですが、この頃の劉備は本当に流浪の軍隊ですね。徐州を支配した思えば、すぐに呂布に奪われ、曹操と組んだかと思えば、袁紹の元に行くことになります。
まあ、劉備が諸葛亮と出会うのも46歳くらいのときだったと思うので(3巻の劉備は30過ぎくらい?)、まだまだ先を楽しみつつ読み進めることにします。
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