同じ本を何度も読む、というと、それだけで読書をあまりしない嫁さんは「えー!?」と奇声を発していました(^^;
5回めか6回めになる「竜馬がゆく」を読んでいます。今回読了したのは2巻です。
2巻で主人公である竜馬はついに脱藩し、親友である武市半平太は、土佐に残って一藩勤王へと動きます。
もし、武市半平太が竜馬と同じように行動していたら、維新後の日本はまた違った展開になっていたのかもしれません。
維新後に武市半平太の存在を惜しんだ山内容堂
「四賢侯」と呼ばれた4人の大名が存在します。
- 島津斉彬
- 松平春嶽
- 山内容堂
- 伊達宗城
このうち竜馬や半平太が所属した土佐藩藩主だったのが山内容堂です。才能ある人物だったのですが、「酔えば勤皇、醒めれば佐幕」と揶揄されたように、勤皇の志を持ちながらも、根は佐幕の人物でした。
土佐藩の成り立ちを考えれば、山内容堂が徳川将軍家に忠誠心を持つのは当たり前なのかもしれません。
維新後に山内容堂は、武市半平太の死を惜しんだといわれています。土佐の人材は幕末風雲の中でほとんどが倒れてしまい、維新後には上士を中心とした小物だけしか残りませんでした。
薩摩の西郷や大久保、長州の木戸などに対抗しうる人物であった半平太を、自身が殺してしまったことを悔やんだのでしょう。
吉田東洋と長宗我部氏の家臣の吉田氏
2巻では武市半平太による土佐藩参政の吉田東洋の暗殺のシーンもあります。半平太率いる土佐勤王党が、土佐藩を牛耳るために行った幕末の暗殺事件の一つなのですが、読んでいて気になったのが吉田東洋の先祖である吉田氏です。
同じ司馬遼太郎の小説に長宗我部元親を描いた「夏草の賦」という作品があります。その小説に元親の家臣で「吉田大備後」という武将が登場します。正確な名乗りは吉田重俊で、吉田東洋の先祖にあたる人物です。
でも、よく考えれば吉田重俊は長宗我部家の家臣です。
- 長宗我部家臣=郷士
- 山内家臣=上士
という認識を持っていたのですが、吉田東洋が上士の親玉のような存在であることを考えると、一概には言えないのかもしれませんね。
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竜馬の脱藩で亡くなった姉?
竜馬の姉というとすぐ上の乙女が有名ですが、もうひとりの姉が竜馬の脱藩時に自害しています。
竜馬は5人兄弟の末っ子でした。
- 権平
- 千鶴
- 栄
- 乙女
- 竜馬
脱藩に際して業物が欲しいと考えていた竜馬に、姉の栄が「陸奥守吉行」を渡します。竜馬の差料として有名な刀ですね。
その後、脱藩者に刀を渡したとして責められた栄は自害してしまいます。
でも、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」ではこのエピソードはありませんでした。ひょっとしたら司馬遼太郎氏の創作なのかと思い、調べてみたのですが真相はわかりませんでした。
真実はどうなんだろう・・・
まとめ ー ようやく風雲に飛び込んだ竜馬
2巻末で土佐藩を脱藩し、ようやく幕末の風雲に飛び込んだ竜馬ですが、まだ先は長そうですね。勝海舟との出会いが次巻でしょうか。
それにしても武市半平太が惜しいと感じます。武市半平太が白札ではなく、最初から郷士だったのなら、藩に希望を持つこともなく、竜馬のように日本を舞台に活躍していたのかもしれません。
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