昔、バイクに乗っていたことがありました。
乗っていたのはカワサキのZX-4という400CCのツアラーです。ツアラーというのはツーリングを目的に作られたバイクのことです。
バイクに乗る目的は旅をすることでした。そういう意味では、車でも電車でも自転車でも、利用する乗り物は何でも良かったのかもしれません。
ただ当時の私にとって、バイクは気軽に乗れる乗り物でもあり、どこにでも一緒に行ける相棒でした。
深夜に出発。大阪から金沢まで
バイクに乗って旅をした一番の思い出は、大阪から新潟の長岡市まで行ったことでしょうか。
司馬遼太郎の「峠」という小説を読み、河井継之助に深い興味を抱いた私は、ふと長岡市に行ってみようと考えました。出発したのはその週末です。若さ故の過ち、ではなく、若さ故のパワーでしょう。宿は予約していなかったのですが、新潟県に友人が居たこともあり、何とかなるだろうくらいの軽い気持ちでした。
自宅を出たのは金曜日の深夜11時頃だったと思います。
20代の頃は、徹夜を何とも思っていませんでした。
下道を走れば、高速代を節約できる。深夜なら道も空いているだろうし、それほど混むこともないだろう、くらいの軽い気持ちでした。
今、思うと若いころは体力が有り余ってますねー。
大阪から北上を始め、中央環状線から国道1号、国道8号と下道をひた走りました。
旅の始めって、凄く楽しいんですよね。
これからの冒険(というとちょっと大げさですが)にわくわくしながら、バイクを走らせていたことを覚えています。
ただ・・いくら若くても、徹夜で何時間もバイクに乗り続けていると、流石に疲れてきます。
国道8号を北上中、金沢あたりまで来たときに、
「下道は疲れた。高速に乗ろう」と決意しました。そして金沢東インターから高速に乗ったのですが、乗ってしばらくして目にした案内版に驚きました。
その案内版には新潟まで300km以上、と書かれていたのです。
大阪と新潟の距離を把握していない
えー、新潟ってそんなに遠かったのか!(←距離を把握せずに出発したバカ^^;)
ちなみにバイクツーリングで一日に走る適正距離は300kmといわれています。バイク雑誌からの受け売りの数字ですが、私の実体験からも300kmという数字はいい線だと思います。
バイクを走らせながら迷いが生じます。
引き返すべきか、このまま走り続けるべきか。
でも若かった私は、迷ったのは一瞬で、そのまま走り続けるという選択肢を選びました。
「300kmということは時速100kmで走れば3時間で着くやん」
でも、ほとんどのケースでそうはなりません。
高速道路の不思議といっていいと思います。残り100kmと表示されて、時速100kmペースで走ったとしても1時間では到着しない。感覚的にはいつも1時間10分か20分くらいかかるような気がします。
このときは疲れもあったし、途中、サービスエリアで休んだりもしたので、結局、新潟に到着したのはその日の午後も遅くなってからでした。
高速道路走行中に、富山県と新潟県の県境を通過したときは、一人でバイクの上でガッツポーズをしました(笑)
到着が遅くなったことで流石に宿が心配になり、長岡市には行かず、その日は友人宅に直行しました。幸いにも友人は在宅していたので、そのまま友人宅に泊めてもらいました。
新潟から長野を抜けて
翌日の午前中は友人と過ごし、午後から大阪に向けて出発しました。来た時と同じルートで帰るのはつまらないので、新潟から南下し、長野県から名古屋方面に抜けて、三重から奈良ルートで帰ることにしました。
ところが、この時点になっても大阪と新潟の距離をきちんと把握できておらず、あちこち観光しながら走っていたこともあって、長野県を走行中に辺りが暗くなってきました。場所は諏訪湖を過ぎた辺りだったと思います。
長野県には友人も居ないし、このまま大阪まで帰るか、それともどこかでもう一泊するか迷いました。
数時間、名古屋方面にバイクを走らせながら、迷った結果、手頃な無人駅の待合室のベンチで一晩を過ごすことにしました。場所は伊那地方のどこかだったと思うのですが、正確な駅名は覚えていません。
待合室といってもドアなどはありません。バスの停留所のようで、ベンチとちょっとした屋根があったくらいです。蚊に刺されないか心配だったのですが、幸いにも水気がない場所だったようで、手持ちのジャンパーを布団代わりにベンチに横になりました。
寂れた場所だったので、ここで寝ていても特に注意されることもないだろう・・・と思いつつも、旅の疲れもあって、割りとあっさりと眠りに落ちました。
学生に起こされて帰路へ
目が覚めると・・・女子高生に囲まれていました。
いや、女子高生に起こされたというのが正しい表現です。
「お兄さーん、朝ですよー」
「生きてる?生きてる?」
半覚醒状態で身体を起こすと、声をかけていた女子高生達が、走って逃げて行きました。周りにも学生が多数おり、私を取り囲むようにしてこちらを注視していました。
どうやら、寂れた無人駅だと思ったのは深夜だからで、朝の通学時間は学生がよく利用する駅だったようです。
何となく間の悪さと、照れくささを感じながら、さっさと寝床を引き払い、バイクに跨って出発しました。
その後は名古屋から東名阪、名阪国道、西名阪と乗り継いで、大阪まで帰りました。
バイクに乗らなくなってかなり経ちますが、今でも忘れられない一人旅の思い出です^^
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