レイ・クロックはファーストフードチェーンのマクドナルドの創業者です。マクドナルド兄弟が生み出したハンバーガーレストランをフランチャイズ展開し、全米で最も成功したビジネスマンとして知られています。
マクドナルドを知らない人は居ないでしょう。でもレイ・クロックを知らない人は多いと思います。私自身、マクドナルドをチェーン展開した人物、くらいの認識しかありませんでした。
マクドナルドのシステム、マクドナルドというハンバーガーレストランを生み出したのはマクドナルド兄弟です。
そのシステムに感銘を受け、マクドナルド兄弟からフランチャイズの権利を得てチェーン展開し、最終的には権利を全て買い取って、巨万の富を築いたのがレイ・クロックなのです。
- マクドナルド創業者 レイ・クロックとは
- 画期的なマクドナルド兄弟の店
- マクドナルド兄弟との確執
- 52歳で事業を始めるということ
- マクドナルド兄弟が手にしたお金はいくら?
- ファウンダー マイケル・キートンが演じるレイ・クロック
- まとめ ー マクドナルド創業者の自伝
- 追記 日本のファウンダー 藤田田の言葉へのこだわり
マクドナルド創業者 レイ・クロックとは
レイ・クロックは52歳まではしがないセールスマンでした。いや、セールスを担当していた紙コップでは多くの売上を上げ、マルチミキサーの販売代理店の会社を起ち上げるなど、それなりに成功していたセールスマンといってもよいでしょう。
(出典 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
画像の真ん中にあるのがマルチミキサーです。ミルクシェイクを一度に5個作れる機械で、クロックはこの機械をドライブインなどに販売していました。
マルチミキサーの会社を起業したといっても、クロック一人の会社だったようです。手掛けていたマルチミキサーの販売も好調とは言えず、折りたたみ式のダイニングテーブルのセールスに手を出して失敗するなど、けっして順調とはいえない状況でした。
そんなときにマルチミキサーを一度に8台も購入したいという連絡が入ります。それがマクドナルド兄弟が経営するハンバーガーレストランからの注文でした。
画期的なマクドナルド兄弟の店
(出典 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
5個のミルクシェイクを一度に作れるマルチミキサーを、8台も購入したマクドナルド兄弟の店は大繁盛していました。
- 待ち時間なし
- チップ不要
- クリーンな店舗
- セルフサービス
- 紙で梱包
- 低価格
- 限定されたメニュー
マクドナルド兄弟の店はシステムが画期的でした。20分くらい待つことが当たり前で、ウエイトレスにチップを渡さねばならない当時としては、斬新だったのでしょう。
マクドナルド兄弟の店に感銘を受けたクロックは、フランチャイズを申し込みます。
ところがマクドナルド兄弟は乗り気ではありませんでした。すでに数店舗の店をフランチャイズ展開していたこともあり、店舗を拡大することでクオリティが落ちることを危惧していたのです。
マクドナルド兄弟との確執
(出典 Wikipedia)
マクドナルド兄弟を説得しフランチャイズの権利を獲たレイ・クロックは、マクドナルドの出店を開始します。
ただこの時にマクドナルド兄弟と締結した契約に問題がありました。どんな些細な変更でも、マクドナルド兄弟に文書で承認を得る必要があったのです。
最初は上手く行っていたマクドナルド兄弟との仲も、クロックの展開する店が増えて来ると、次第に衝突することが多くなっていきました。
マクドナルドのフランチャイズ展開から6年後、クロックはついにマクドナルド兄弟から権利を全て買い取ります。270万ドルという大金でした。
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52歳で事業を始めるということ
(出典 Wikipedia)
クロックのその後は説明するまでもないでしょう。マクドナルド・コーポレーションの代表として、世界34カ国で8,000店以上のマクドナルドを出店し、5億ドルの資産を築きました。
クロックは1984年にこの世を去りますが、マクドナルドはその後も発展を続けます。世界店舗数は3万5千店を超え、日本だけでも2,910店(出典 日本マクドナルド公式サイト 2019年IR情報)を出店しています。
クロックがマクドナルドと出会い、フランチャイズを決意したのは52歳のときです。
驚くべき52歳、としか言いようがないですね。
日本人なら52歳で事業を始めるでしょうか。いや、もちろん高齢になっても起業される方はたくさん居ると思います。
ただ、まったく飲食店経営の経験もなく、2つの持病を抱えた状態で、自宅を抵当に入れ、膨大な借金を抱えながら、52歳という年齢で起業する人間がどれくらい居るかは非常に疑問です。
少なくとも私のような小心者には絶対に無理ですねw
マクドナルド兄弟が手にしたお金はいくら?
(出典 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
前述したようにマクドナルド兄弟は270万ドルで、権利を全てレイ・クロックに売却しました。今のマクドナルドの隆盛を考えると非常にもったいないような気もします。
とはいえ270万ドルは大金です。「100万ドルの夜景」という言葉もあるくらいです。今のレートで日本円に計算すると約2.8億円でしょうか。
ちょっと考えないといけないのは、1961年という年代です。当時の270万ドルは現在だと約2,340万ドルの価値になります。日本円にすると約25億円ですね。マクドナルド兄弟でなくても手放してしまいそうな金額です。
ただマクドナルド兄弟は、売上の0.5%をフランチャイズ料として得る契約をしていました。もし権利を手放さずにマクドナルドの売上の0.5%を手にしていたとしたら、いくらになっていたでしょうか。
Wikipediaによるとマクドナルドの全世界売上は24.622ビリオンドル(2016年)です。日本円にすると2兆4622億円ですね。その0.5%は約123億円になります。この金額が毎年マクドナルド兄弟に入ってきたことになります。
まあ、ここまでくると皮算用ですが、それでもやっぱりもったいなかったかな(^^;
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ファウンダー マイケル・キートンが演じるレイ・クロック
(出典 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
レイ・クロックの自伝は「The Founder」というタイトルで映画化されています。創業者という意味ですね。マクドナルドという会社の創業者であることは間違いないのですが、少し考えさせられるタイトルでもあります。
邦題は「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」です。「ハンバーガー帝国のヒミツ」 は要らなかったような気もしますが、ファウンダーだけだと何の映画なのか分からないかな。
映画の内容は秀逸です。私は書籍を読んだあとに映画もAmazonプライム・ビデオで観ましたが、主役のマイケル・キートンの演技が素晴らしい!
クロックは怒りっぽい性格だったそうですが、そのクロックを見事に演じています。映画だけにいくつか脚色が入ってますが、それを踏まえても良い映画です。
まとめ ー マクドナルド創業者の自伝
(出典 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
「成功はゴミ箱の中に」というタイトルは、レイ・クロックがライバル店のゴミ箱を漁ったことが一度や二度ではない、という言葉から来ています。
インパクトのあるタイトルですが、この本の本質はそこではないような気がします。52歳という年齢で起業し、世界最大級のチェーン店を築き上げたレイ・クロックの考え方を知ることができる本、と捉えるのが良いと思います。
自伝だけに本人の自慢的なセリフもありますが、それを差し引いても面白い内容です。マクドナルドはフードビジネスではなく不動産ビジネスである、といわれることもありますが、なぜそういう経緯になったのかも、本を読めば理解することができます。
読書が苦手な人は映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」をどうぞ!
追記 日本のファウンダー 藤田田の言葉へのこだわり
私は以前、英会話を習っていたことがあります。その時の講師のマクドナルドの発音は「マクド(ダ)ゥネル」でした。なんど聞いても「マクドナルド」ではなく「マクド(ダ)ゥネル」なのです。「ド」なのか「ダ」なのかは判別が難しいのですが、その部分を強調し、最後の「ド」はほとんど聞こえませんでした。
マクドナルドが日本に進出するときに、その発音通りの表記を求めたそうなのですが、日本のマクドナルド創業者である藤田田氏は「マクドナルド」という表記で押し通したそうです。
日本人には韻を踏んだ名称の方が親しみやすいという狙いがあったのでしょう。日本のファウンダーの藤田田氏も、やっぱり優れた人物だったのでしょう。
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