幕末の雄藩として代表的なのは「薩長土肥」と呼ばれる4つの藩です。そのうち坂本龍馬らの出身地である「土」の土佐藩は、維新を迎える前に多くの人物がこの世を去りました。
維新後も生き残って活躍した人物というと、
- 板垣(乾)退助
- 後藤象二郎
の二人が代表的な人物でしょう。
ところがこの二人は、幕末の志士的な活動は少なく、実際に幕末の土佐藩の風雲を担ったのは4人の下級藩士です。
- 武市半平太
- 坂本龍馬
- 吉村寅太郎
- 中岡慎太郎
そしてこの4人全員が維新後の新時代を見ることなく、世を去っていきました。
維新回天に奔走した人物が新時代を迎えることなく世を去り、そうでない人物が生き残るのは歴史の皮肉というものでしょうか。
月形半平太のモデルにもなった武市半平太
幕末の土佐の郷士は4つのグループに分かれました。
- 武市半平太の土佐勤王党
- 坂本龍馬の神戸海軍塾
- 吉村寅太郎の大和天誅組
- 中岡慎太郎の長州支援組(陸援隊)
このうちもっとも勢力が大きかったのは武市半平太が率いた土佐勤王党でしょう。一時期は藩政を掌握し、土佐藩全体を牛耳るまでになりました。
ところが、土佐の老公(といっても30代)である山内容堂が弾圧に乗り出し、土佐勤王党は瓦解します。武市半平太も投獄されてしまいます。
武市半平太は嫌疑不十分で取り調べられていましたが、最終的には「人斬り以蔵」と呼ばれた岡田以蔵の自白の影響もあり、半平太に切腹の沙汰が下ります。
・・・見出しに武市半平太は戯曲「月形半平太」のモデルになった人物と書きました。実は月形半平太を私は観たことがないのですが、月形半平太のセリフだけは知っています。
「春雨じゃ、濡れて行こう」
子どもの頃に、雨が降っていて傘を持っていないときに、このセリフをいったりしていました。
どこで覚えたのだろう・・・
幕末の土佐は悲しいくらい人が死ぬ
土佐勤王党の率いた武市半平太は、誰もなし得なかったといわれる腹を三の文字の形に切り裂く切腹方法で命を閉じます。
半平太だけではありません。半平太を救おうとした土佐の清岡道之助は捕らえられ、23人の同士とともに打首になります。辞世の句を読み終える前に斬られてしまうという有様で、読んでいて切なくなります。
吉村寅太郎ら天誅組は、大和行幸を信じて暴発し、最終的には壊滅します。豪傑といわれた寅太郎は、不幸にも味方の誤射で腹部に銃弾を受けてしまいます。寅太郎はそれでもカゴに乗りながら部隊の指揮を続けていましたが、カゴに乗っていたことがアダになり、狙撃を受けて死亡します。
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千葉さな子のその後が切ない
以前に読んでいたときは、坂本竜馬は千葉さな子と脱藩後も何度も会っていたと思っていました。いや、会ってはいるのですが、小説ではこの4巻で会うのが最後になっています。
竜馬は自分の紋付の片袖を破り、形見としてさな子に渡します。国事のための奔走が終わったら結婚しようという意味だったのでしょう。
このときさな子は25歳か26歳です。その後はさな子は結婚をせず、竜馬の形見の片袖を手に暮らしたといわれています。私は坂本竜馬の許嫁でした、と人に語り、生涯独身を貫き通したとか。今の時代の感覚だと信じられないですね。
まとめ ー 半平太の死が惜しい
幕末の長州藩の久坂玄瑞が半平太を評して、西郷よりも人物的に上、と述べたといわれています。それだけの人物だった武市半平太が亡くなってしまったのが惜しいですね。
竜馬とそしてこの半平太が生き残っていたら、維新後の日本はまた違った形になっていたと思います。
さて、5巻はその西郷の登場ですかね。いや4巻でも登場しているのですが、竜馬との絡みがないこともあり、まだまだ影が薄い存在です。
続きは気になるのですが、再読ということもありマイペースで読み進めることにします^^
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