のぼうの城 成田家500 vs 豊臣軍2万。歴史上名高い忍城の戦い

書評・読書

北条氏の降伏が豊臣秀吉による天下統一であり、戦国時代の終焉とするなら・・・北条氏が降伏しても落城しなかった忍城が開城したときが、戦国時代が終わった瞬間だったのかもしれません。

 

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(出典 Amazon)

 

得体の知れない主人公「のぼう」成田長親

この「のぼう」は「でくのぼう」を意味します。

忍城城代の成田長親は、あまりにも無能なため領民からは「のぼう」と呼ばれています。殿様でもあることから、「でくのぼう」と面と向かって呼ぶのはさすがに気が引けたのか、「でく」を省略して「のぼう」と呼ばれていたのです。

 

当時の成田家の当主は成田氏長でした。成田家は北条氏に従属していたため、豊臣秀吉による北条攻めが始まると、成田氏長は弟の泰親と一緒に北条氏の居城である小田原城に籠城します。

留守居役を任されたのが、いとこである成田長親でした。

 

成田家の主力は氏長が率いて小田原城に入場しているため、忍城に残された兵力はわずか500でした。そこに石田三成率いる豊臣軍2万が押し寄せます。

 

500対2万の戦力差でなぜ「のぼう」が勝ったのか

小説では成田長親は領民には慕われているが、家臣からは無能な主君と思われています。農作業の手伝いさえ役に立たないといわれる始末です。

 

忍城の戦いが始まる前に、当主の成田氏長が豊臣秀吉に内通していたこともあり、家臣は全員開城で一致します。

 

そして石田三成の使者として長束正家が来たときも、本来であれば開城を伝えるだけの場の筈でした。

ところがただ一人、長親だけが抗戦を主張します。

結局、家臣達も長親に同調し、成田家は領民たちも城に収容して、石田三成率いる2万の軍勢と闘うことになります。

 

領民には好かれているものの「のぼう」と呼ばれるくらいの無能な男が、なぜ石田三成率いる2万もの軍勢に勝つことができたのか。

読み進めるうちに「のぼう」の取った策謀が明らかになってきます。策謀といっていいのかどうかは分かりませんが・・・

 

そして北条氏の支城が次々に落とされて、ついには北条氏の本拠地である小田原城も落城します。小田原城が落ちても、戦い続けたのは長親率いる忍城だけでした。

 

のぼうの城の成田長親のリーダー像

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(忍城外観 出典 Wikipedia)

私は小説は純粋にエイターテインメントとして楽しみたいタイプです。

歴史書でたまに「織田信長から学ぶリーダー像」のような本がありますが、その手の書籍を私はあまり好みません。小説とか映画とかマンガとかは、教訓とか抜きにして純粋に楽しみたいのです。

でも、のぼうの城を読むと、

「こんなリーダーはありなのか・・・?」

 とつい考え込んでしまいます。

 

武将としては無能だが、人に慕われる将として有名なのは、漢の高祖である劉邦でしょう。でも、和田竜氏が描く「のぼう」という人物は、劉邦とも違うような気がします。

 

計算ずくなのか天然なのか分からない。

領民には慕われる。家臣には軽侮される。

 

それでも、最終的にはリーダーとして家臣と領民をまとめ、石田三成との戦いに勝利します。

 

主人公である「のぼう」こと成田長親や、正木丹波守を始めとする家臣団、そして石田三成、大谷吉継などの相手役もふくめ、登場人物たちの人物描写が巧みなことが、「のぼうの城」がヒットした理由なのでしょう。

 

まとめ ー 大ヒットしたのも納得できる名作

歴史小説はあくまでも歴史「小説」であり、史実とは異なります。

 

忍城が落城しなかったのは、水攻めが上手くいかなかったことが原因ですが、この水攻めは実は秀吉の指示であったことが、残された手紙から判明しています。

成田長親も「のぼう」ではなく、他の戦でも数々の武功を上げているので、実際は優秀な武将だったようです。

 

私は気に入った本は2回、3回と読み直します。名著は読む度に新しい発見があり、何度読んでも楽しめます。のぼうの城を読むのは今回で2回目なのですが、数年後にまた読むんだろーなー。

 

そういえば映画版はまだ一度も見たことがないので、これを機会に是非一度見てみることにします。

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