本棚を眺めていたら、文藝春秋SPECIAL「大戦国史」(以下、大戦国史)という本を見つけました。2016年春号、とあるので、1年半ほど前に購入した本のようです。
- 幸村の天才軍略遺伝子
- 激闘 関ヶ原 戦国の一番長い日
- 戦国大名 究極のサバイバル戦略
- 最強武将は誰だ?
- 知られざる名将
- 「信長の野望」想像と破壊
など、様々な項目が詰め込まれているのですが、今回はその中の一つ「最強武将は誰だ?」について書いてみます。
- 戦国時代最強の武将は誰だ?
- 他の著名人の徳川家康の選出理由にも疑問点
- 織田信長の強さは戦略的強さ
- 徳川家康は戦場において強かったのかどうか
- 私が考える戦国時代最強武将は島津義弘
- まとめ ー 信長は戦略的強さ、家康は過大評価、最強は島津義弘
戦国時代最強の武将は誰だ?
大戦国史の「最強武将は誰だ?」の記事では、36人の著名人に、最強武将は誰かアンケートを取っています。
- 徳川家康 9
- 織田信長 8
- 上杉謙信 3
- 武田信玄 3
- 斎藤道三 2
- 毛利元就 2
- 北条早雲 1
- 本多忠勝 1
- 真田昌幸 1
- 細川幽斎 1
- 蓮如 1
- 伊達政宗 1
- 高山右近 1
- 佐竹義宣 1
- 島津義弘 1
徳川家康が僅差で織田信長を上回りました。下記に徳川家康を指示した有名人の中で何人かピックアップしてみます。
- 仲代達矢(俳優)
- 佐藤賢一(作家)
- ジェームス三木(脚本家)
- 津川雅彦(俳優)
- 茂木健一郎(脳科学者)
それぞれ選出理由も書いてあるのですが、意外な評価をされているのが作家の佐藤賢一氏です。選出理由が「大砲が使えたから」
確かに徳川家康は大阪の陣のときに、片桐且元から得た情報を元に、大阪方の淀殿が居る天守に向けて大筒を使用しました。その大筒の弾が淀殿の侍女を死傷させたことで淀殿の戦意が落ち、和議に繋がったといわれています。
ただ、関ヶ原の戦いで石田三成が徳川家康に対して大筒を用いていますし、徳川家康が大筒を有効活用したのは大阪の陣くらいなので、この選出理由には少し疑問が残ります。
他の著名人の徳川家康の選出理由にも疑問点
著名人の方々が徳川家康を選出した理由の多くは、戦国武将としての強さでなく、ほかの観点から決めたようです。
- 天下人として度量の広さ
- 日本統一というビジョンを持っていた
- 歴史は結果が全て
- 何よりも実績を評価
これらを選出の要素に加えてしまうと、必然的に信長、秀吉、家康の3人に選択肢が絞られてしまいます。
ここはやはり天下人としての度量や、ビジョン、結果、実績は考えずに「軍隊を指揮しての強さ」として誰が一番強かったのかを考えたいと思います。
織田信長の強さは戦略的強さ
戦略と戦術という言葉があります。大雑把に説明すると、戦略がどれだけ兵力を動員できるか、どの方面に兵力を振り分けるか、です。これにたいして戦術は、戦場においての兵の指揮、になります。
この観点から見ると、実は信長は戦術はそれほど上手くありません。美濃を制圧する前は斎藤義龍に何度も敗戦していまし、浅井朝倉を相手にした姉川の戦いでも、勝敗を決したのは徳川家康です。
姉川の戦いの勝因は、家康指揮下の武将である榊原康政が陣形が伸び切った朝倉勢の側面を突いたことだといわれています。
上杉謙信を相手にした手取川の戦いでは完璧に敗北しています。
(ただし手取川の戦いでは信長自身は参戦していなかったといわれています)
それでも信長が天下統一寸前まで行ったのは、織田信長には戦略的な強さがあったからです。例えば信長が京都を制圧したときは、自身の領地であった尾張、美濃から6万という兵力を動員し、南近江を領地にしていた六角氏を兵力で圧倒しました。
鉄砲の三段撃ちで武田騎馬軍団を破った長篠の戦いでも、勝敗を分けたのは鉄砲ではなくその動員能力だといわれています。信長が動員した兵数は徳川軍も合わせて3万6千です。一方の武田勝頼は1万5千であり、兵力差が決めてになったのは間違いないでしょう。
圧倒的な動員能力による戦力集中が信長の武将としての強さなのです。
徳川家康は戦場において強かったのかどうか
(出典 Wikipedia)
前述したような姉川の戦いや、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉を破ったことを考えると、平均以上に強かったことは間違いありません。
ただ三方ヶ原の戦いでの武田信玄への敗北や、関ヶ原の戦いでも小早川秀秋の裏切りがあるまで劣勢だったことを考えると、最強というほど強かったのかどうかは疑問が残ります。
私が考える戦国時代最強武将は島津義弘
私が大戦国史の著名人のように、誰か一人の名前を上げて戦国時代の最強を選ぶなら、九州薩摩の戦国大名島津義弘です。
- 木崎原の戦い 300名で伊東義祐率いる3千人の軍隊を破る
- 耳川の戦い 7万3千の兵を率いる大友宗麟を2万の軍勢で破る
- 泗川の戦い 朝鮮軍約20万の軍勢を7千人で破る
特筆すべきは泗川の戦いです。明からの援軍である薫一元率いる20万の軍勢(一説には5-6万人)をわずか7千人の軍勢でやぶり、3万8千人を討ち取ったといわれています。
明・朝鮮の連合軍は島津の軍勢をおそれ「石曼子(しいまんず)」とよび、以後は島津の軍勢を避けたとまでいわれています。
関ヶ原の敵中突破も有名ですが、それをおいても戦場での最強武将は九州の島津義弘が候補に上がることは間違いないでしょう。
まとめ ー 信長は戦略的強さ、家康は過大評価、最強は島津義弘
独断と偏見で(便利な言葉だなー)色々と書いてしまいましたが、まとめると信長の強さは戦略的強さ、家康は少し過大評価、最強は島津義弘になります。
ただ、戦場での司令官としての強さだと、上杉謙信、武田信玄、北条氏康に加えて、真田昌幸なども入ってくるでしょうから、正直なところ難しいですね。
まあ、でも、信長でも家康でもないのは間違いないでしょう^^;
以上、戦国ヲタがお届けしましたー。
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