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項羽を殺した男 中国史上最強の武将の最後

最初にタイトルを見たときは、おや?、と思いました。

以前に司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んで、項羽が最後は自害したのを知っていたからです。

 

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中国史上最強の武将 項羽

人によって中国史の最強武将の意見は別れるでしょう。

三国志が好きな人であれば呂布かもしれません。

「関羽、張飛が蘇っても勝てない」といわれた楊大眼や、一人で一万人に匹敵するといわれた韓世忠、中国史上最大の英雄といわれる岳飛をあげる人もいるでしょう。

 

でも、私にとっての最強武将は項羽です。

 

項羽は身長が2mを超える大男で、筋骨たくましく、個人的な武芸と戦場においての兵の指揮は卓絶していました。楚の名族の出身で、戦えば必ず勝ち、秦の大軍を打ち破り、楚の覇王と呼ばれました。

でも、天下を取ったのは、沛の町のゴロツキ出身で、戦えば必ず負け、秦の大軍を避けて関中に入った劉邦でした。

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戦場において圧倒的に強かったが政治的、戦略的な能力が欠如

項羽のような武将はあまり多くいません。

項羽は戦術において圧倒的に強かったのですが、政治や戦略についてはほぼ他人任せでした。本人も能力がないことを自覚していたのでしょう。初期の頃は項羽の叔父である項梁が、項梁の死後は范増がその役目を務めていました。

 

有名な鴻門の会では、殺すつもりだった劉邦が平謝りしたのをみて、項羽は討つのを止めました。その時に范増が言った「ああ、豎子、与に謀るに足らず」という言葉は現代まで一言一句変わることなく伝わっています。

 

項羽がもし政治的な感覚の持ち合わせていれば、劉邦を鴻門の会で殺していたでしょう。劉邦はあとで項羽の進路に立ちはだかることは確実な状況でした。自分が戦場においてあまりにも強かったため、政治的な感覚が欠如していたのかもしれません。

 

劉邦率いる56万の大軍をたった3万で打ち破ったこともある項羽ですが、最後は垓下に追い詰められました。自身が戦えば必ず勝ったのにも関わらず、韓信、英布、彭越といった諸侯が全て劉邦についたのが原因でした。

 

項羽が垓下に追い詰められたときに攻城側の兵士が楚の歌を歌っていたことから四面楚歌という言葉が生まれました。

 

また項羽は垓下で「垓下の歌」とよばれる有名な詩を作っています。

力は山を抜き,気は世を蓋う。
時、利あらず、騅、逝かず。
騅の逝かざるを奈何にす可き。
虞や、虞や、若を奈何んせん。

戦えば常に勝った項羽にとっては、垓下に追い詰められた状況が理解できなかったのかもしれません。

 

項羽タイプの武将を日本に求めるとすれば

動乱の時代には特異な武将が出現します。

戦場においては必ず勝つほどの軍事的な才能を持ちながら、政治的、戦略的な能力が欠如した武将が日本にも一人います。

 

源義経です。

 

義経は小男で項羽とは違い個人的な武勇はありませんでしたが、戦闘指揮が巧みで、戦えば必ず勝利しました。二人とも過去の政権と戦い、戦闘において一方的な勝利を収めましたが、政治的な能力がなかったために悲劇的な最後を遂げました。

 

作家の司馬遼太郎氏が、時代の境目には時代を変えるためだけに彗星のように現れて去っていく人物が登場する、と仰っていました。項羽や源義経もそういう存在だったのかもしれません。

 

まとめ ー 司馬遼太郎以外の項羽と劉邦を知りたい人にお薦め

「項羽を殺した男」は項羽の知人で呂馬童という人物です。

 

項羽は最後に討って出て漢の兵士を一人で数百人殺傷します。それでも誰も項羽を討ち取ることができませんでした。

項羽は攻め手側に知人である呂馬童が居たのを見つけ、お前は知り合いだから、俺の首を持って出世しろ、と言って自害します。

「項羽を殺した男」というインパクトのあるタイトルですが、呂馬童が別に項羽を殺したわけではありません。

 

楚漢戦争を題材にした小説というと、やはり最初に取り上げられるのが司馬遼太郎の「項羽と劉邦」でしょう。私も過去に3回くらい読みました。

 「項羽を殺した男」は司馬遼太郎とは異なる視点で読める楚漢戦争といっていいでしょう。