富樫倫太郎氏の著作である軍配者シリーズ三部作の最終章「謙信の軍配者」を読了しました。三部作の最終章は上杉謙信の伝説的な軍師といわれている宇佐美定行こと、曾我冬之助が主人公として大活躍・・・ではありませんでした。
三部作の最終章も四郎左こと山本勘助の物語といって良いでしょう。上杉謙信が戦術においては天才的な才能を持っているため、軍配者を活躍させにくかったのかもしれませんね。
(出典 Amazon)
謙信の軍配者のあらすじ
山本勘助こと四郎左に命を救われた曾我冬之助は、長尾景虎(のちの上杉謙信)に仕え、宇佐美定行と名乗っていた。
長尾景虎は戦では圧倒的な強さを誇るが、政治には疎く、重税を課していたこともあって家臣の離反を招いてしまう。
一方の山本勘助は武田晴信(のちの武田信玄)の軍配者として、晴信の信濃征服を着実に進めていく。順調に進んでいた信濃侵攻だが、長尾景虎が越後から進出してくるようになると、武田軍は長尾景虎の戦場での強さに手こずるようになる。
上杉憲政から関東管領職を受け継いだ長尾景虎は、上杉政虎と名を変え、武田軍と決戦すべく川中島へと進出する。上杉政虎が陣地を構えたのは、川中島の奥深く、妻女山だった。
小説では珍しい上杉謙信像
冒頭に主人公は山本勘助、と書きましたが、主人公である曾我冬之助の描写ももちろんあります。ただそれ以上におもしろいのが上杉謙信ですね。歴史小説でこういう上杉謙信が登場するのは、珍しいのではないでしょうか。
上杉謙信は戦場での強さは天才と言っていいでしょう。甲乙つけがたい川中島の戦いを引き分けと換算しても、その生涯成績は、
- 61勝2敗8分
という驚異的な強さになります(謙信が直接指揮していない戦いも含む)。
その圧倒的な強さはこの小説でも表現されているのですが、それ以外は珍しい謙信像といって良いでしょう。
- 部下の争いに嫌気が差して出家しようとする
- 部下に謀反を起こされる
- 武田信玄を激しく憎む
実はこれらは現実の謙信像に近いかもしれません。謙信が部下の争いに嫌気が差して、国主の座を捨てて出家しようとしたのも事実ですし、武田信玄を激しく憎んでいた様子もいくつか資料が残されています。
部下にも度々謀反を起こされていて、
- 北条高広
- 本庄繁長
- 大熊朝秀
などが謀反を起こした部将として有名ですね。
これらは通常は歴史小説に書かれることは少ないので、珍しい上杉謙信像といっていいのではないでしょうか。
川中島の戦い。四郎左の最期
川中島の戦いは、敵陣深くにある妻女山に陣を敷いた上杉謙信を、武田信玄が八幡原で迎え撃った戦いです。そのときに武田軍が用いた戦法が、山本勘助が立案したといわれる「啄木鳥の戦法」です。
ただ、謙信は見事に「啄木鳥の戦法」を看破し、それを逆手に取って武田軍を急襲します。責任を感じた山本勘助が、武田信玄を守りつつ討ち死にしたのが、史上名高い川中島の戦いになります。
この小説もその展開を踏襲し、川中島の戦いをクライマックスに持ってきています。それだけに「謙信の軍配者」というタイトルで、宇佐美定行というマイナー?部将が活躍する歴史小説、と思って読むと肩透かしを感じるかもしれません。
まあ、史実では宇佐美定行は溺死していたはずなので、三部作のラストに宇佐美定行を持ってきたとしても、物語として書きにくかったのでしょうね。
まとめ ー 軍配者達のそれぞれの運命
主人公達である軍配者もそれぞれの運命を迎えます。
北条氏康の軍配者である風摩小太郎は病に倒れ、武田信玄の軍配者である山本勘助は川中島の戦いに散り、上杉謙信の軍配者である宇佐美定行は、軍配者であること止めてしまいます。
曾我冬之助が足利学校に帰り、四郎左の子どもに軍学を教える、というのはもちろん作者の創作でしょうが、物語のラストとしては余韻があって良いのではないでしょうか。
史実通り溺死だったらどうしよう、と思いつつ読んでいたので^^;
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