何かに感動して心が震えている状態が好きです。
例えば映画を観たとき。
その映画のことで頭がいっぱいになって、他のことが考えられなくて、主人公はああいう行動をすればよかったんじゃないかとか、違う選択肢はなかったのかとか、とにかくその映画で頭がいっぱいになっている時間がすごく好きです。
メディアは何でも良いのです。
映画でもアニメでもドラマでもマンガでも小説でも、それこそ何でも良い。
とにかく作る側に回って、自分が作ったもので人々を感動させたいのです。
きっかけはアニメだった
子どもの頃、アニメが大好きで毎日のように観ていました。
中学生の頃に上映された「風の谷のナウシカ」は映画館に観に行きました。その頃は入れ替え制ではなかったので、一日中映画館に居ることができました。
風の谷のナウシカは映画館で合計3回観ました。3回観に行ったのではありません。観に行ったのは1回で、1日で3回観たのです。
その頃のアニメ映画は同時上映される作品があるのが当たり前で、風の谷のナウシカも名探偵ホームズと併映されていました。
つまり、
- 風の谷のナウシカ
- 名探偵ホームズ
- 風の谷のナウシカ
- 名探偵ホームズ
- 風の谷のナウシカ
というように観たのです。ほぼ丸一日映画館に居ました(爆)
それだけアニメが好きでした。
他にも放映されているものは片っ端から観ていたのを覚えています。
いつしかゲームにはまった
アニメと同じようにマンガも好きで、暇があれば本を読んでいるような読書好きでもあり、それ以外の時間はひたすら泳いでいるような子どもでした。
そのうち興味中心はゲームに移ってきました。ゲームウオッチからインベーダー、ファミコン、そして兄が買ったPC-8801で、様々なPCゲームで遊んでいました。
特にPCゲームは衝撃的でした。ゲーム=アクションだと認識していた当時の私の考えを根底から覆してくれました。
- デゼニランドや惑星メフィウスといったアドベンチャーゲーム
- 川中島の合戦や信長の野望といったシミュレーションゲーム
- ザ・ブラック・オニキスや無限の心臓といったロールプレイングゲーム
そのおもしろさに感動し、絶対にこれを作る側になってやる、と思ったのを今でも覚えています。
そして紆余曲折を経て、今は小さなゲーム会社でゲーム開発をしています。
いつかは自分の理想のゲームを作りたい、と思いつつも、ずっとゲームの一部だけを作り続けています。
ゲームはハードルが高いメディア
ゲームはハードルが高いメディアだといつも思います。
小説もマンガも一人で作ろうと思えば作ることができます。アニメもPCやソフトの進化で短編なら一人で作れるようになってきました。新海監督とかはその良い例ですね。
でも、ゲームは一人で作成するのは困難です。
- プログラム
- グラフィック
- サウンド
- ストーリー
といった要素があり、それぞれ専門家が必要です。もちろんゲームの規模や種類によっては減らせるかもしれませんが、それでもコンピューターゲームであれば、プログラマーは必須です。グラフィックを作成する人も外せないでしょう。
おもしろい小説を読み終えたとき、これを作る側でも良かったなあ(自分にその才能があるかどうかはさておき)、と思う反面、ゲームというハードルが高いメディアを選んじゃった以上、仕方ない、とちょっと諦めたような考えも浮かびます。
まとめ ー ずっと作る側に居たい。そしていつかは。
今でも自分が手がけたものがゲーム内で動き回ったり、表示されたりはしています。
それも嬉しいのですが、できれば、自分の作った作品でユーザーの心を震わせたいのです。
ずっと作る側に居て、仕事があって、ご飯を食べられている状況に感謝しつつ、いつかは自分の理想のゲームを、と考えています。
有名クリエイターでもなく、大したスキルもなく、もうけっこうな年齢になってしまった私にとっては、あとは時間との勝負だと思っています。
さて、明日もがんばろう。
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