3DCGを触ったことがある人なら、3DCGで美少女を作成することがブームになった時期があることをご存知だと思います。
伊達杏子や永瀬麗子、テライユキなどがブームの先駆けでした。どの子が先だったのか調べてみると、伊達杏子と永瀬麗子が1996年、テライユキが1998年でした。
1996年~ 伊達杏子
(出典 exciteニュース)
伊達杏子は3DCGで作成されたバーチャルアイドルです。アイドルだけあって所属事務所もちゃんとあり、著名の芸能人御用達のホリプロになります。まあ、正確には所属しているではなく、ホリプロが製作したというべきかもしれませんが。
伊達杏子は韓国デビューしたり、セカンドライフでもアイドルとして活動しましたが、さすがに最近は話を聞かなくなってきました。
伊達杏子の開発にはホリプロの社員10人と技術スタッフ50人が投入され、初期投資だけで数千万円がかかったという。
(出典 Wikipedia)
ホリプロがかなり力を入れていたこともあって、当時はかなり話題になったのですが、商業的にはあまり成功しなかったようです。個人製作のテライユキやフェイフェイにあっさり抜かれてしまったような記憶があります。
上の画像の右側は3DCG美少女で当時有名だったソネハチさんの造形じゃないかな。左側の初期の伊達杏子とかなりルックが違いますね。
1996年~ 永瀬麗子
(出典 バンダイナムコゲームス)
ゲーマーであれば知らない人がいないといわれているのが永瀬麗子でしょう。リッジレーサーシリーズのレースクイーンです。
制作されたのは当時ナムコに在籍していた由水圭氏です。今はナムコを退社されてご自身で会社を設立されています。
R4開発日記/R4 OPENING MOVIE CONTINUTY | バンダイナムコゲームス公式サイト
永瀬麗子の初出はレイジレーサーなのですが、2作目のリッジレーサーR4の開発日記が今でもWeb上で閲覧できます。由水さんのコメントはもちろん絵コンテも見ることができるので、非常に貴重なサイトだと思います。
1998年~ テライユキ
この頃は国産3DCGソフトのShadeがもてはやされた時期でもありました。テライユキがShadeで作られている、と聞いてShadeを購入した人も多かったと思います。私もその一人です(^-^;
(出典 CGWorld)
Shadeの自由曲面はポリゴンモデラーである私にとっては使いづらかったなー。慣れてしまえば自由曲面の方がいいという人も多いのですが。
テライユキは漫画家のくつぎけんいち氏によって作成されました。
テライユキの3DCGモデルは、元々はくつぎが漫画家としての仕事の合間に、3Dグラフィックソフト・Shadeを使って趣味で作り上げたものである。
(出典 Wikipedia)
2015年にはCGデザイナー御用達の雑誌であるCGWorldでテライユキをリファインする試みが行われています。
柔らかい質感がいいですね。ちょっと大人びた雰囲気かな。
ターンテーブル動画もありました。これでもレンダリングコストを下げるために、クオリティを少し落としているそうです。
1999年~ 飛飛(フェイフェイ)
(出典 CGWorld)
多くのCGデザイナーを驚愕させたのが、1999年に登場した飛飛(フェイフェイ)です。サムスンのCMに採用されたこともあって、PCが好きな人であれば、フェイフェイの広告を見たことがあるかもしれません。
製作者はデザイン事務所のブルームーンスタジオに所属していた沖孝智氏です。趣味で作成したものを3DCGの美少女コンテンストに出したことから一気に注目され、翌年にはモデリングデータの販売、2002年にはサムスンの広告に採用されました。
その沖孝智氏はどうしているのだろう?、と少し気になってググってみたら、今でも第一線のCGデザイナーとして活躍されているようです。
大阪で働く~独特の文化を育んできた、この地でのCG制作の魅力とは~ | インタビュー | CGWORLD.jp
まとめ ー 最新の3DCG美少女Saya
主に1996年から2000年くらいまでの3DCG美少女の変遷をまとめてみました。
その後もShade用の美少女モデルデータが発売されたりしたものの、2001-2002年くらいを境目にブームは沈静化していきました。PCも3DCGツールも安くなり、誰でも製作できるような環境になると、ブームというものは一段落するものなのかもしれません。
最後に最新の3DCG美少女の紹介を。Sayaです。動画でどうぞ。
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