なんだかんだ言っても、私はこのシリーズが好きなのでしょう。本能寺の変について子孫の方が書かれた「本能寺の変 431年年目の真実」のマンガ版「信長を殺した男」です。
信長を殺した男というのはいうまでもなく明智光秀のことですね。
2巻では天王寺砦の戦いや、明智光秀の若い頃が描かれています。
信長の激戦の一つ 天王寺砦の戦い
天王寺砦の戦いの描写はほぼ史実通りだと思います。信長と光秀は一時期は本当に良好な関係でした。
天王寺砦で一向宗に包囲された光秀を救うために、信長は僅かな手勢で大坂に駆けつけます。この戦いでは信長自身が鉄砲で負傷したほどの激戦でした。
信長は激戦の末、一向宗を打ち破り、光秀を包囲から救いだします。自らが負傷しても光秀を助け出すからには、それだけ信長が人材として、光秀を重要視していたのでしょう。
ただ、信長が大軍に小勢で戦闘を仕掛けたのは、
- 桶狭間の戦い
- 天王寺砦の戦い
の2度だけ、という記述がありますが、これは真実ではないかな。稲生の戦いなど、信長は尾張統一時代に、何度か自軍よりも多い軍勢に戦いを仕掛けています。
明智光秀と斎藤道三が戦ったのかどうかは不明
信長を殺した男という作品は、明確に善人と悪人が別れています。2巻で登場した斎藤道三は悪人として描かれていますね。
明智光秀はその斎藤道三と戦って破れて美濃を去る、というストーリーになっています。
これは正直なところ史実かどうか分かりません。明智光秀の全半生は不明な点が多く、ほとんど分かっていないのです。
明智光秀の父といわれているのが明智光綱で、その妹が小見の方です。この女性が斎藤道三の妻でのちに濃姫と呼ばれる帰蝶の母親です。
早い話が濃姫と光秀はいとこ同士で、斎藤道三は光秀の義理の叔父になります。しかも明智光綱は斎藤道三の家臣でした。その関係で斎藤道三と戦をするかな?
この辺りは原作者の明智光秀は土岐氏の一族であり、土岐氏を滅ぼした斎藤道三は悪人として扱いたい、という意図が見え隠れしますね。
仲の良かった光秀と信長がなぜ?
さて、話を光秀と信長に戻すと、この二人が非常に仲が良かったのは事実です。光秀が大病を患ったときに、信長が熱心に看病したというエピソードも残っています。
そんな二人がなぜ本能寺の変を起こすことになったのかは・・・わかりません。
怨恨説や野望説、四国説に黒幕が居た説など、理由といわれている説はたくさんあるのですが、確定しているものはありません。
それこそが本能寺の変が戦国時代の最大の謎といわれている理由なのでしょう。
まとめ ー 次巻ではそろそろ理由が分かる
2巻の最後は信長が一大艦隊を編成し、明国に攻め込む構想を持ったところで終わります。
この構想こそが、本能寺の変の引き金、という引きで2巻が終わります。本能寺の変につながる理由としては、ちょっと弱いような気もするのですが、いちゃもんばかりつけていても仕方がないので(^^;、ここは楽しみに次巻に進むことにします。
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