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三成が関ヶ原の戦いで勝利した後の政治体制について考える

アイキャッチ画像を探すために「歴史」と入力しようとして、「レキシ」と変換されてしまうあたり、まだ以前の記事の影響が残っていたようです。

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いい曲だなあ。ずっと聞いているとこの歌詞でも全然違和感がなくなってきた。

というか、この歌詞でないとおかしい気がしてきたので、人間というのは不思議なものです^^;

 

関ヶ原の戦いのif

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「異聞 関ヶ原合戦」という書籍の最終章に、関ヶ原の戦いのif小説が記載されています。「断章 逆転関ヶ原」という章で、史実とは異なる結果が書かれています。
ネタバレになるので詳細は記載できないのですが、歴史好きなら誰もが関ヶ原のifを考えたことがあるでしょう。

  • もし小早川秀秋が裏切らなかったら
  • もし毛利や長宗我部が日和見をしなかったら
  • もし夜襲に三成が同意していたら

色々なifがありますが、ここでは三成が関ヶ原の戦い勝利したとして、その後の政治体制がどうなったかを予想してみます。

 

まずは政治体制について

秀吉が統治していたときの政治体制は下記の通りです。

 

 

五大老五奉行のような豊臣政権の実務を担った職制の呼称については、正しいかどうかの判断は私にはできないのですが、ここでは一般に広まっている上記の職制で進めてみます。

 

「異聞 関ヶ原合戦」では

ちなみに「異聞 関ヶ原合戦」に記載されている三成勝利後の職制は下記になります。

 

実は私はこれを読んで違和感がありました。

はたして石田三成勝利したとして、自ら大老の位置についたでしょうか。
総大将として三成が担ぎ上げた毛利輝元宇喜多秀家よりも、自分を上の位置におくことは考えられません。

 

司馬遼太郎が著書「関ヶ原」で、三成が勝ったとしたら自ら政権の座に就くことはないだろうが、執権政府のようなものは作り上げただろう、という意味の文章を書いておられます。私も同意見です。

 

異なる予想をしてみる

憶測ですが、五奉行筆頭(豊臣政権時の五奉行の筆頭は石田三成ではなく浅野長政)くらいの位置に落ち着き、大老には就かなかったのでないでしょうか。秀頼に近侍しながら政権の実務は握りつつ、政治は五大老を裏から操って進めたのではないかと予想します。

関白が小早川秀秋というのは変わりません。
もちろん愚者として有名な小早川秀秋に関白が務まる筈がないのですが、三成が関ヶ原前夜に秀秋にたいして、関ヶ原勝利後の報酬として関白を勧めた経緯があり、戦後は秀秋を関白にせざるを得ないでしょう。

 

五大老島津義弘までは間違いないと思うのですが、末席を佐竹義宣にするか長宗我部盛親にするかで迷いました。石田三成佐竹義宣が仲が良かったのは有名ですし、武断派の襲撃事件で徳川家康石田三成仲介役を受けもったのも佐竹義宣と言われています。

 

関ヶ原の戦いでは佐竹義宣は動きませんでしたが、保有石高と三成との仲を考えて五大老は有り得るでしょう。

 

五奉行は筆頭に石田三成が位置し、盟友である安国寺恵瓊小西行長が入ると予想します。東軍に属した浅野長政は外れるのは当然ですが、西軍に属した前田玄以は東軍に通じてましたし、年齢的に三成にとってはやりにくい相手だったのではないでしょうか。

 

書籍を読んだ勢いで

「異聞 関ヶ原合戦」という書籍を読んだ勢いでここまで書いてしまいました。

実はこの書籍は石田三成の子孫を調べるために図書館から借りた本のひとつです。

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購入したものや図書館から借りたものを含めると、14冊くらい関連する書籍を読んだのでが、「異聞 関ヶ原合戦」は三成の子孫調べには役に立たなかったものの、if小説だけでも楽しめました。

 

宰相殿の空弁当」で知られている毛利秀元という武将にも興味が湧いてきたので、また調べてみようと思っています。

 

ブログ的には需要はなさそうなのですが、自分の好きなことを書くのが雑記ブログなので(といういつもの言い訳で終わります^^;)